核兵器の根絶運動だとか集団的自衛権反対運動だとか、自分たちのやることはすべて平和に資するなどとのたまう”自称”平和主義者の方たちがおられますが、傲慢だと思います。なぜなら、歴史を鑑みるに、「平和的活動はすべて平和につながる」という公式は決して成り立たないからです。ネヴィル・チェンバレンの宥和政策がそうだと思うのですが、「平和的」な行動が必ずしも平和につながるわけではなく、どの選択が真に平和に資するものであったかは、後世の人間でないとわからないはずです。そうした傲慢な「平和主義者」たちを大賀先生はどのようにお考えになりますか。

なぜ私にその質問をされるのか理解に苦しむところです。というのは、恐らく私は質問者さんの言うところの「自称・平和主義者」と通じるところがあるのではないかと思うからです。いくつかお応えというかご意図のよく分からないところも含めてコメントさせていただきます。
①「自分たちのやることはすべて平和に資する」、「平和的活動はすべて平和につながる」という意見を私は殆ど聞いたことがありませんが、どのような方々のどのようなご意見を想定されているのでしょうか?
②その上で、ちょっとよく分からないのですが、質問者さんは(a)平和運動そのものを批判されているのでしょうか?それとも(b)それとも平和運動そのものは構わないが、「平和的活動はすべて平和につながる」という傲慢さを非難されているのでしょうか?
③上の回答が(a)である場合ですが、たとえば戦争という判断が妥当なものであるか、妥当でないものとなるのかはその時々の状況によって異なります。したがって、その時々の状況判断で「戦争に反対する」「平和を訴える活動をする」というのは、それ自体として否定されるようなものではないのではないでしょうか。つまり、一概に「平和主義は誤りである」とは言えないのではないでしょうか?
④有名な話では「リアリスト」に分類されるモーゲンソーやケナン、ウォルツ、ギルピン、ミアシャイマー、ウォルト(挙げれば切りがありませんが…)などもベトナム戦争やイラク戦争に徹底的に反対していました。もちろん彼らは「自分たちのやることはすべて平和に資する」などと考えていたわけではありません。平和を求める運動を「平和主義」とひと括りにするのはちょっとどうなんでしょう…というのが私の率直な印象です。むしろ「自称・平和主義者」なる集団がもしも存在するのであれば、それと同じように「自称・現実主義者」という集団も存在しうるのではないでしょうか?
⑤最後になりますが、チェンバレンの宥和政策の失敗を挙げるのであれば、ベトナム戦争の失敗も挙げるべきではないでしょうか。つまり、前者は軍事介入を忌避して戦争が拡大した例、後者は強引に軍事介入を行って戦火が拡大した例です。どちらが正しい判断であるかは一概には言い切れません。それと同様に、質問者さんが仰る「自称・平和主義者」の活動が、まったく無意味・無駄であるとは私は考えていません。それは戦争を回避する場合もありますし、間接的に戦争を助長してしまう場合もあるでしょう。もちろん、「反・平和主義」の側に立つことが必ずしも平和を保障するというわけでもありません。