仏語の詩を日本語訳した本が文庫本として売られていたりしますが、このような詩の訳はどのくらい元の内容を翻訳できているのでしょうか? 個人的には元の詩の含意が半分も伝わってないんじゃないかと思ってしまいます。仏語を英語に訳す場合などは、かなりsyntacticalに近い訳になりますから、まだ訳の意味もあるのでしょうけど。

ある詩の「内容」とは何のことで、それがどのような要素によって決定されるかという、極めて難しい問題にどう答えるかによって、それがどの程度、またどういう意味で翻訳可能かという問いに対する答えも違って来ます。最初の問題に答える上で、「内容」と「含意」の関係も考えなければいけませんし、質問で言及されている統語論的syntacticalな要素(言葉がどう並べられているか)がここでどのような役割を果たすのかということも考えなければいけません。統語論的な要素だけでなく、当然言葉の選び方dictionやそれぞれの言語で利用可能な語彙についても考えなければいけません。また、日常会話と比べると、詩では視覚的情報(改行、インデント、連分けなど)や聴覚的な情報(韻律)やその他の形式的要素も重要なことが多くありますが、ほとんどの場合これらを翻訳することは大変に困難であることも考えなければいけません。
言語学的な様々な基準で、たとえばフランス語は日本語よりも英語にずっと近い言語であるとはもちろん言えます。しかし、このような事実から、フランス語の詩を日本語に訳すことと英語に訳すこととの違いや様々な困難などに関して単純に結論を出すことはできないのではないかと思います。
ザ・インタビューズで間接的に関連する質問に答えていますのでよろしければそちらもご覧ください。
http://theinterviews.jp/yuuki_with2us/4674664
http://theinterviews.jp/yuuki_with2us/1623162