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まつ
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ゲーム史の本が色々出ている感じですが、どれが最初の一冊によいってありますか。それぞれの本の癖ないし史観とかが気になっています。

関心や知識によってちがうのでなんとも言えないです。小山『日本デジタルゲーム産業史』は事実ベースで時系列を追って見ていくかんじで、基本的な知識を信頼できるかたちで得るには適していると思います。文化史というか受容史としてはさやわか『僕たちのゲーム史』が好きですが、ある程度作品を知ってないとぴんとこないかもしれません。マニアックな話が知りたいならゲームサイドシリーズなどが詳しいんじゃないでしょうか。あと本もいいですが、あそぶゲーム展のような展覧会にいってみるとゲームの歴史を実感できていいと思います。

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グッドマンの有限差別化のステートメントがピンときません。 定義だと、マークaが符号Xにも符号Yにも属さないならば、「aが符号Xに属さない、あるいは、aが符号Yに属さない」と確定可能であるとされています。(訳書p.159など) 用語解説を見ると、これはマークがどの符号に属すかを原理的に確定可能であるという条件だとされていますし、グッドマンもそういう扱いをしているようです。 しかし「mが符号Kに属する」と確定可能であることではなくて、どちらかに属さないということを確定可能だという、ある種遠まわりで弱い定式化になっています。なんでこんな定式化にしたんでしょうか。

at_akada

用語解説のほうが不適切というか言葉足らずなのだろうと思います。有限差別化の要件ではじきたいのは、たとえば有理数をすべて組み込むようなシステムです。「ある棒は、その長さを有理数ミリメートルに換算した数にもとづいて、有理数ごとに別々に用意された特定の符号に属する」というシステムを考えたとき、ある長さの棒がどの一つの符号に属するかは確定できないわけです(無限に細かくできるので)。音で言えば、周波数(有理数にまるめたもの)ごとに異なる音符が用意されているようなものです。こういうのを排除するために、まわりくどい定式化になっているんだと思います(原文のほうがおそらく多少わかりやすいです)。

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グッドマンは、科学と同様に、芸術も認識であるというのですが、芸術の場合、何についての認識なのでしょう。 科学や歴史の場合、認識とは、何らかの事実を知ることだと言えそうな気はするんですが、芸術の場合、認識の対象としての事実に相当するものが何なのかよくわかりませんでした。

at_akada

答えはpp.300-301のあたりかと思います。科学での認識の対象は必ずしも事実ではないという考えか、芸術も科学もそこでの認識は(広い意味での)事実を対象にするという考えのいずれかじゃないでしょうか。「いずれも世界の見方(を提示するもの)という点で同じ」みたいなことだろうと思います。

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少し違った観点の質問になるのですが、東アジアの書道、西アジア・ヨーロッパに伝わるカリグラフィは記号的意味と図象的表現形式を同時に備えていますが、こうした図象的な文字は、芸術の言語としては二重性を持ったものといえるでしょうか。

「二重性」という言い方が適切かはわかりませんが、スクリプトとしての特徴と絵としての特徴をあわせ持つといえるとは思います。カリグラフィについては、わずかながら言及があります(p.240)。

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先ほどのご回答、芸術の媒体性の問題というよりは、第5章p208 にある「一つのクラスが一意に決まる」というところに芸術の同一性と多様性の根拠があると読み取れましたが、いかがでしょうか。

ご質問の趣旨を把握する自信がないので、とりあえず無回答とさせてください。

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「芸術の言語」第4章p182-の「8 アナログとデジタル」はこの本の核心部の一つだと思いますが、概要p319にあるように、絵画やスケッチは稠密(アナログ)で、楽譜や設計図はデジタルというのは、デジタルからアナログが再現されるということに思え、興味深いのですが、設計図の代わりにアナログなスケッチが建築構想の準備段階で使われたり、デジタルな楽譜だけでは完全なアナログ演奏再現ができないなど、必ずしも固定的分類に収まらない(記号システムのパラメーターとしては流動可変的)と思われるのですが、いかがでしょうか。

「デジタルからアナログが再現される」という言い方はグッドマンの議論と用語法にしたがうかぎりはできません。建築にスケッチが使われることは本文で言及されています。楽譜が演奏のすべてを規定しない(というかむしろすべてを規定しないことにデジタルの意義がある)ことも本文に書かれています。

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「芸術の言語」第5章以下の要点は概要p.319に解説いただいているとおりの記号システム論ですが、芸術作品のあり方は音楽、美術、建築、文学作品でそれぞれ異なると本文でも述べられています。こうしたrepresentation(再現)における統語論や意味論上の多様さは、それぞれの芸術の媒体性の違い、つまり「芸術の言語」自体の媒体性の違いに基づくと考えてよいでしょうか。

グッドマンは基本的に媒体の特徴を問題にしませんし、媒体に何か本質を見いだすことは否定すると思います。以下細かい説明です。まず前提から。そこで「あり方」といわれているのは、芸術作品の同一性のあり方です。つまり「ひとつの作品」として同定される存在者の種類が諸芸術間で多様であるという話です。作品の同一性は、たとえば伝統的なクラシック音楽などの場合は記譜法によって確定しますが、それ以前に「(記譜法に)先行する分類」によってすでにだいたい決まっているというのがグッドマンの考えです。この「先行する分類」にもしかすると媒体性が関わることはあるかもしれませんが、グッドマンはそれについて何も述べていませんし、唯名論者としてたぶん否定します。

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芸術の言語 第1章のrepresentation(表現)の注に、depiction である旨が書かれていますが、depiction は書き手の認識や主観と捉えても差し支えないでしょうか。

ご質問のポイントを把握できているか自信ありませんが、"depiction"は基本的に(1) 絵や写真とそこに描かれているものの関係か、(2) 何かが描かれている絵や写真自体のいずれかを指します。その作用が働くには、ふつうに考えれば見る人の認知が関わるとは思いますし、画家や写真家の意図が関わると考える人もいます。あと、"representation"は本書の訳では"表現"ではないです。

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取り決め可能な帰結って、金銭などゲーム外で利用可能なインセンティブが必然的に伴うわけではないという理解でいいですか。またこの規則によって、オンラインカジノなどはゲームから除外されると考えても大丈夫でしょうか。

おおむね大丈夫だと思いますが、この概念のポイントはむしろ場合によってはそういう動機が伴っていてもいいというところにあります。遊びやゲームがそういう動機が伴わないものであるという昔ながらのよくある考えに対して、ちょっとした修正を加えているところにオリジナリティがあるわけです。「ゲームから除外」という強い言い方をしていいかはわかりませんが、ギャンブルは一般に取り決め可能な特徴を持たないとユールは考えていると思います。

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ハーフリアルではなくロペス辺りの話になるのですが、depiction という概念はデジタルゲームにも汎用的な用語に思うのですが、インベーダーやマリオのドット画などへのキャラクターへの感情移入などという点で、どう思われますか。

ドット絵も時代やジャンルでいろいろだと思います。感情移入(想像力がかきたてられる?)みたいなのはよくわかりませんが、古いJRPG的なドット絵は小林秀雄が当麻かなんかで書いてた能面の美みたいなのに近いとまえから思ってます。あとデザイン的にしゅっとしているところがすきです。

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創発的物語(emergent narrative、p.195)という言葉は、ゲーム展開という出来事をきっかけにプレイヤーが内的に作る世界や体験の物語、という解釈でよろしいでしょうか。

既存の議論では言葉の中身がいまいちはっきりしないというのが、まさにp.195の主張だと思います(そしてその状況はいまも変わってないと思います)。「player story」とか言われる場合の含意は、どっちかというと、プレイヤーが内的に作る(読み込む)物語というよりは、たまたま(デザイナーが意図せざるかたちで or あらかじめの筋書きがないかたちで)生まれちゃう物語というかんじだろうと思っています。p.103あたりも参考になるかも。

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『ハーフリアル』『芸術の言語』質問箱