■自己ゲシュタルト構築法はどのような方法で行っていますか?
「自己ゲシュタルト構築法」とは何を指してる言葉なのか、はっきりとはわかりませんが。ゲシュタルト心理学における定義から、「自己の全体性をどのように構築しているのか」という意味だと受け止めて、回答してみます。
私の職場はブログです。思考し、情報を受信し、情報を発信しています。収益も得ています。行き着くところはブログです。
ここ最近、選挙に関する無料メルマガのプロジェクトを立ち上げ、1月から5月まで休むまもなく、全国の選挙運動にネットでもリアルでも関わりました。
実はこれはかなりきつかった。ゲシュタルト崩壊を起こしそうでした(笑)。
というのも、関心事が広がりすぎて、それを統合できなかったのです。フィードバックして核燃料サイクルならぬ情報サイクルが出来なかったのです。思考し、受信し、発信するというサイクルです。収益も低下していきました。
僕が収益について真剣に考えているのは、ブログにて収益を上げることによって、誰かに金銭的に依存せずとも、関心事について思考し受信し発信できるからです。例えば吉野家から時給をもらったなら吉野家に肉体的に貢献しなければいけないわけで。それで生活はできるのですが、自分がやりたいブログ執筆ができなくなります。放送作家に戻って仕事をして報酬を手にしたとしても、自分がやりたいブログ執筆ができなくなります。そうなれば、おそらくゲシュタルト崩壊を起こすでしょう。
いつの間にか僕にとってブログ執筆はかけがえのない作業になっています。
それは自分の関心事を深める喜びを追求すればするほど、自然と読者に喜ばれるというプレゼントが与えられるからではないかと思っています。自分のために貢献すれば、同時に他者にも貢献できるという不思議な職業だと思っています。もちろんそのためにはある程度、スキルの獲得は必要なのですが。
ですから、5月頭から再び現場をインターネットメインに戻しました。個人ブログを書いても選挙メルマガを書いても、基本的にやっているのは、思考し、情報を受信し、情報を発信し、収益を得ることです。
同時に5月中旬から、新たに勉強ブログを複数立ち上げて、年金など新たな関心分野の勉強を始めています。選挙に関わる中で社会福祉制度に関して理解を深めたいと思ったからです。こちらも、思考し、情報を受信し、情報を発信し、収益を得ようとしています。
ここ最近良く感じるのですが、グローバルな世の中である以上、何かを深く掘っていくと、例えば国内問題を掘っていくと外交に行き当たる、という具合に、地球が一つであるように、関心事もつながっていきます。
地球儀を思い浮かべながら読み進めて欲しいのですが、インターネットは時として海に例えられますが、海をひたすら泳いでいくと、大陸に行き当たり、別の海につながりといった具合に、まさに地球を感じられ安心するのです。
人が経済、政治、宗教に関心をもつのは、それらは、まさに地球儀にある海や大陸のようにつながっているからなのでしょう。そういう視点を持つと自分が関心をもつ一見バラバラの事柄もつながっていることを実感できます。
それがつまり、自己ゲシュタルト構築法となっているのではないかと思います。
■また、他人の視野についてどう感じているかを知りたい。
こないだの質問でも答えましたが、他人の視野について考えるときには、その人がどういう場所に立って物事を見ているのか、まさにそれは文字通り視野ですが、を捉えるようにします。
こだわっている人は、どうしてそれにこだわらざるをえないのだろうか。それを解明するためには、その人の立場について具体的に確認したり、分析します。
視野、それはつまり考え方と置き換えても良いのですが、は人によって独特です。そして人によって「軸」は異なります。ここでいう軸とは、考え方の癖というか、軸というか、そういうものです。
例えば尖閣問題について人によって考え方は違いますが、保守的な人でもリベラルな人でも、「人が死んでもいいとは思っていない」と考える傾向があります。
「中国が攻めてきて沖縄の人が攻撃されたらどうする」とかんがえる人も「紛争になった両国に被害が出たらどうする」と考える人も「人が死んでもいいとは思っていない」という傾向があるわけです。
「自衛隊は命をかけて国を守るものだ」と思っている人でもも「簡単に死んでこいとは思っていない」という傾向があると言えます。いや、より強く「簡単に死んで来いとは思っていない」のではないかと推測もできます。
そのように、共通の軸がありながらも、別の立場が加わる中で、最終的な意見が決まります。その立場は何なのかを考えることが「他人の視野」について考えることです。
先日「ザマさんを100%否定する側に回る」と伝えられたことがありましたが、その時でも、相手の立場は何がきっかけで変化したのか。あるいは立場は変化していないにもかかわらずそのように発言したのか。という具合に、相手の立場を見極めようとします。
視野とはちょっと顔の向きを変えればずいぶん変わるものですし、立ったり座ったりしても変わるものです。とはいえ、当たり前ですが、顔の向きを変えたところで、立ったり座ったりしたところで、その人はその人なわけですから、何を言われようと安心していられます。
そのように他人の視野について考えています。
View more