大学があり授業がある限りはだれかしら雇わないといけないわけで、教えながら哲学の研究をするというポジション自体は残っていくとは思います。ただ、漠然と自分の好きな研究だけしていれば評価されるというわけでもありませんし、どういう人がどういうところに採用されたかみたいなことを見て、早いうちから研究者としての生存戦略を考えるみたいなことは必要になると思います。「そういう小賢しいのがいやだから研究者を目指したのに」という人にとっては大変生きにくい時代になっていると思います。
哲学業界としては優秀な方たちにあとを継いでいただかないと先細りになっていくので、能力のある方には哲学の研究者を目指してほしい反面、とても「どんどんおいでください」と勧誘できる状況でないのも事実で、苦しいところです。
英米のSTS業界は、まず科学社会学のけっこう大きなコミュニティがあって、そこに隣接領域のひとたちがどんどん合流して成長してきたものだと理解しています。そのため、今でもアクターネットワークとかの社会学の理論がバックボーンとして共有されている印象はうけます。日本のSTS業界はそれと比べると寄り合い所帯ですし、実践よりだという気がします。すべて印象論ですのであまり重きをおかれても困りますが。
『科学技術をよく考える』で紹介しているほか、「科学技術社会論とクリテイカルシンキング教育の実り多い融合は可能か」という論文の最後の方でも論じていますのでごらんになってください。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/153277
お探しのものはもしかしてインフォーマルロジックと呼ばれる分野ですか?
Informal logicとかargumentationとかのジャーナルがあります。
Informal Logic
http://www.informallogic.ca/Argumentation
http://link.springer.com/journal/10503
たとえばシンガーはある条件下で重度障害を持つ新生児の安楽死を許容するような発言をしたりしているので邪悪な哲学者とみなされることが多いですね。
伝統論理学でいえば推論の絶対的な正しさを保障してくれるような推論を同定することでしょうし、現代論理学はもっと記述的にわれわれが実際に行っている推論のある側面をどうモデル化するかというようなことを扱っていると思います。
右利きの猫でも左利きの猫でも、倫理的に望ましい社会を作る猫はよい猫だ、という立場です。それぞれのイデオロギーにコミットしている人からは日和見主義に見えるに違いありません。
みました。いろいろポリティカルな読み方をする人がいてネット上でも議論になっていましたが、もっと素直に波動砲発射シークエンスだけで一本映画とっちゃいましたみたいな見方をしてあげるべき作品のような気がしました。
客観的には余裕かましているとみられる受験のしかたをしましたが、本人がよくわかっていなかっただけだと思います。
そういえば具体的な年齢でイメージしたことないですね。