@tiseda

伊勢田哲治

動物倫理の専門家としてイルカ追いこみ漁は許容されるものと考えますか?

イルカ追い込み漁とひとくちにいってもいろいろなやりかた、背景があるので一概に言えません。
現在日本で行われているものについては、まず、追い込みのプロセスでイルカに対して与えるストレスや命を奪う過程での苦痛が大きいという批判があり、それに答える必要があると思います。
ツイートでも紹介しましたが、以下の論文は2011年にとられた映像をもとに太地町のイルカ追い込み漁がイルカに与えている苦痛を推測しています。
Butterworth, A et al. 2013 "A Veterinary and Behavioral Analysis of Dolphin Killing Methods Currently Used in the “Drive Hunt” in Taiji, Japan" Journal of Applied Animal Welfare Science 16, 184-204.
http://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/10888705.2013.768925 (全文がオープンアクセスになっています)
http://dotearth.blogs.nytimes.com/2013/04/06/a-scientific-assessment-of-the-killing-method-used-in-japans-dolphin-roundup/(同論文のニューヨーク・タイムズ誌上での紹介)
とりわけ、追い込み漁を支持する立場の論文(http://www.cypress.ne.jp/jf-taiji/geiruihosatu.pdf) でイルカが即死するとされているのに対し、映像の分析では刺されたあと4分たっても動きがあることが重大な問題として指摘されています。
もちろん、科学的な論争としては、この論文一つで決着がつくものではなく、むしろこれを起点に議論を深めていくべき性格のものだと思います。しかし、こうした指摘に適切な反論(感情的な反発ではなく)を行わなければ、この論文の主張が確定していくことになるでしょう。
与える苦痛の大きさと許容可能性の大小は完全に連動するわけではありません。たとえば「先住民漁業」と認定されれば苦痛の大きい方法でも許容されることがあります。デンマーク領のフェロー諸島のクジラ追い込み漁は伝統的な生活のための漁として認められているようです。逆にそのためにクジラ肉を市販したということが告発の対象になったりします。(ちなみに、日本人のクジラ漁・イルカ漁ばかりが目の敵にされるのは人種差別だ、という議論を目にすることがありますが、フェロー諸島の漁も反対運動の標的になっているのはちょっと調べればすぐわかります。)
http://www.voxy.co.nz/national/group-claims-illegal-commercial-sale-whale-meat-faroe-islands/5/63795
逆に、まったく不必要な漁だと考えられるなら、漁そのもので与える苦痛が小さなものでも、「不必要な残酷さ」だとみなされるでしょう。極端な話、殺すプロセス自体がまったく苦痛のないものでも、幸せに生活している動物の生を断ち切ること自体がその動物のその後の幸せを奪っていることになります。この点について考える際には、イルカが認知能力が高いと推測されることが大きな意味をもちます。認知能力の高い生物はそれだけ複雑な精神生活を送っていると推測され、それを断ち切ることで奪われるものもまた多いと考えられるためです。
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Latest answers from 伊勢田哲治

博士課程に進学して研究者として生きていきたいのですが、人文系縮小でますます厳しくなっていくのでしょうか?

大学があり授業がある限りはだれかしら雇わないといけないわけで、教えながら哲学の研究をするというポジション自体は残っていくとは思います。ただ、漠然と自分の好きな研究だけしていれば評価されるというわけでもありませんし、どういう人がどういうところに採用されたかみたいなことを見て、早いうちから研究者としての生存戦略を考えるみたいなことは必要になると思います。「そういう小賢しいのがいやだから研究者を目指したのに」という人にとっては大変生きにくい時代になっていると思います。
哲学業界としては優秀な方たちにあとを継いでいただかないと先細りになっていくので、能力のある方には哲学の研究者を目指してほしい反面、とても「どんどんおいでください」と勧誘できる状況でないのも事実で、苦しいところです。

ぼかして聞くけど、米国のSTS研究者も日本のSTS研究者と似てる印象なの?

英米のSTS業界は、まず科学社会学のけっこう大きなコミュニティがあって、そこに隣接領域のひとたちがどんどん合流して成長してきたものだと理解しています。そのため、今でもアクターネットワークとかの社会学の理論がバックボーンとして共有されている印象はうけます。日本のSTS業界はそれと比べると寄り合い所帯ですし、実践よりだという気がします。すべて印象論ですのであまり重きをおかれても困りますが。

「メタクリティカルシンキング」とはどういうものですか?または、どういうものを構想されてますか?

『科学技術をよく考える』で紹介しているほか、「科学技術社会論とクリテイカルシンキング教育の実り多い融合は可能か」という論文の最後の方でも論じていますのでごらんになってください。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/153277

思考プロセスのモデル化について。ご回答ありがとうございます。大変参考になりました。認識論的な議論は確かに認知科学の方が良いのかと思いました。重ね重ね申し訳ございませんが、トゥールミン『議論の技法』のような類の研究はご存知ですか?漠然と(広義での)分析哲学で展開されてないかな?などと思っています。

お探しのものはもしかしてインフォーマルロジックと呼ばれる分野ですか?
Informal logicとかargumentationとかのジャーナルがあります。
Informal Logic
http://www.informallogic.ca/
Argumentation
http://link.springer.com/journal/10503

道徳的に邪悪な哲学者って誰ですか?

たとえばシンガーはある条件下で重度障害を持つ新生児の安楽死を許容するような発言をしたりしているので邪悪な哲学者とみなされることが多いですね。

科学的議論での論理展開の正当性や人間の操る諸概念がどのような推論を許すのかという問題に関係しないとすれば、学者が提示する形式体系は何に使う物なのでしょうか?

伝統論理学でいえば推論の絶対的な正しさを保障してくれるような推論を同定することでしょうし、現代論理学はもっと記述的にわれわれが実際に行っている推論のある側面をどうモデル化するかというようなことを扱っていると思います。

伊勢田先生って右翼ですよね

右利きの猫でも左利きの猫でも、倫理的に望ましい社会を作る猫はよい猫だ、という立場です。それぞれのイデオロギーにコミットしている人からは日和見主義に見えるに違いありません。

シンゴジラはご覧になりましたか?

みました。いろいろポリティカルな読み方をする人がいてネット上でも議論になっていましたが、もっと素直に波動砲発射シークエンスだけで一本映画とっちゃいましたみたいな見方をしてあげるべき作品のような気がしました。

大学受験は余裕でしたか?

客観的には余裕かましているとみられる受験のしかたをしましたが、本人がよくわかっていなかっただけだと思います。

何歳まで生きたいですか?

そういえば具体的な年齢でイメージしたことないですね。

Language: English