適切なことばで意を伝えればかならず振り返ってくれます。意中のひとは、私にことばを求めるためにここにいます。
ヘーゲルは鉱石をもっとも下等な生物だと考えました。生物の基本的なあり方は、自分と自分でないものが分離していることです。この分離を愛と呼ぶしかないのです。
どれほ深い絶望であっても、不健康なやりとりに見えても、そこに、明日の健康を読むことができる人がいるのですね。救いがあるとしたら、その人の希求の中にしかない、といえるだけです。友もいなければ恋人もいないのです。すぐ近くを通りすぎている誰かがいて、その人の影を愛すことができればもう世界は完全です。
共同体は、つねに仲間なのか敵なのかを験す手段を行使していて、それが「挨拶」なのです。挨拶は合言葉で、共同体から排除されるべき人間をチェックするのがおもな仕事です。
ファンタジー小説が嫌いなひとがいます。夢と現実の境界があいまいな人です。似ているものの差異はとても大きいく、そのギャップに傷つくからです。私は恋愛小説も恋愛映画も好きではありません。恋愛と現実の境界があいまいだからです。
なぜ恋愛するの?嫉妬できるから。
セックスとは愛である。
自分だけの世界、それは誰にだってあるし、そのことを「即自的に」知っているのですが、それを対自化してくれる他者に出会わなければ、自分の世界を本当に知ることはできないのです。誰にも届かない言葉をもって、それが届く他者に出会ったときに、他者が生まれ、「私」が始まります。
詐欺師には二種類あって、それは捕まってしまう詐欺師と捕まらない詐欺師です。捕まってしまう詐欺師は、じぶんの嘘を真実だと信じてしまうという決定的な失敗を犯した者たちです。素直とは何でしょうか。信じてしまったじぶんの愛情を表現することです。かれは失敗した詐欺師です。
私たちは狭い場所に閉じ込められています。斜めになってすれ違えば何の問題もなかったのに、そこではだれもが正面衝突するしかない、それほど細長い道に迷い込んでしまっています。些細なことで心の隙間を失ってしまう世の中というのは、私たちが望んだ世界の末路だといわれています。たくさんの人がみんな平等で、おたがい認めあう世界、痛みのない、安全で幸福な世界、それはおどろくほど小さな世界です。