可能性の有無や、諦めるべきか否かを決める権利は、私が持つものではありません。シンプルですが、質問者さんの今後の気持ちと行動、そして相手の気持ち次第だと思います。
人は変わります。性根はあんまり変わらないかもしれませんが、環境も価値観も恋愛における好みも、もちろん容姿だって変わります。お互いに。
だから数年後はもしかしたら、もう連絡も取らなくなって疎遠になり、お互いに別の土地で別の人生を生きながらあの頃をフッと甘酸っぱく思い出す可能性も勿論あるし、久しぶりに再会したあなたがドストライクな女へと成長して彼がメロメロになってしまう可能性だってもちろんあるし、この回答を読みながら歩いていた質問者さんは誰かとぶつかってしまい、見ると素敵な青年で二人は運命の出会いを果たして3ヶ月後に電撃結婚、妹みたいって言われた?いたっけそんな人?となる可能性だってあるのです。
だから少なくとも今、その恋心が本物だと信じるならば、やるべきことはただひとつ、彼好みの女になるべく努力しましょう。あるいは努力する心づもりをしておきましょう。「妹みたい」と言われたってことは女ぶりを上げた方がいいのかな?大人っぽい格好をしましょう。髪を伸ばして高いヒールを履きましょう。え?童顔?整形しましょう。方向は様々だけれど、やることはただ一つ。努力です。
それに今はこのSNS全包囲網時代です。連絡を取る手段、タイミング、口実なんて今後、掃いて捨てるほどあります。質問者さんが虎視眈々とタイミングを狙っていれば、獲物は必ずコメントして!と言わんばかりにフェースブックにフィード投稿してきます。最近の若者は出会い系の利用も一般的だそうですから、条件を絞って物色すれば案外簡単に見つかるかもしれません。勿論共通の知り合いを使うという古典的方法も有効です。年を取ってくると男女が出会ったり、食事の席をともにしたりするハードルも驚くほど下がってきますから、ちょっと本気を出せば再会、再アプローチの機会なんていつでもやってきます。
それに何より、昔フッた女を懐かしく、愛しく思わない男はいない、そう私は思います。
質問者さんは昨年の紅白でも歌われた「五番街のマリーへ」という歌をご存知でしょうか?
ーー「五番街のマリーへ」(ごばんがいのマリーへ)は、1973年10月25日に発売された日本のバンド、ペドロ&カプリシャスの5枚目のシングルである。ペドロ&カプリシャスの代表曲のひとつである。(wikipedia より)
この曲の歌詞を見てみましょう。
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五番街へ行ったならばマリーの家へ行き
どんな暮ししているのか見て来てほしい
五番街は古い街で昔からの人が
きっと住んでいると思うたずねて欲しい
マリーという娘と遠い昔に暮らし
悲しい思いをさせたそれだけが気がかり
五番街でうわさを聞いてもしも嫁に行って
今がとても幸せなら寄らずにほしい
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まあつまり五番街に住むマリーって娘をさ〜むかし手ひどく振っちゃったんだけど今どうしてるか気になるんだよね〜。悪いんだけどさあお前オレの代わりに見てきてよ!っていう歌ですね。まあふざけた歌詞ですわ。
「振った女」の話で饒舌にならない男はいません。なぜなら女を振った経験は男にとって過去の栄光であり武勇伝だからです。私の元カレも、元カノ(私)との切ない思い出をツイートして女からのふぁぼを集めて出会い厨をしていましたから間違いありません。男が過去の栄光を懐かしむとき、過去の女の面影をもまた懐かしんでいるのです。はて、あの女はどうしているのだろう、あれもなかなか可愛い女だった性格はキツかったが料理が上手できっといい妻になるだろうと思っていた今はどうしているのか、幸せになっているといいがあの性格では結婚は難しいかもしれないあの時オレがもらってやらなかったことは彼女にとって不幸であるかもしれん云々云々。
会える頻度が減るからといって、連絡をとらなくなるからといって、彼の中から質問者さんの影が消えてなくなるわけではありません。大丈夫。
むしろあなたの影は時を経るごとにぼんやりと光すら纏ってくるようになるでしょう。
でも、ちょっとだけ言わせてください。
何なんですかね「一緒にいてすごく楽しいけど妹みたい」って。なんだその使い古された振り文句は。昔っから使われてきた、謂わば常套句ではあるけどだよ。自分を好いてくれた女を何の工夫もねえ常套句をブン投げて無碍にすることに恥を知ってほしい。羽海野チカ先生がね10年前にね美大を舞台にしてね、美大の若者たちの青く儚い美しい光をね、その中で生まれて消える恋心をね、最高の形で描ききって以降ね、そういうさあ恋愛相手を身内に例える概念はもうダメなの。終わったの。クリエイティビティの限界値を突破したの。わかる?そもそも妹とは一緒にいてもすごく楽しくはないだろ。そこまで考えて発言しろ。だいたい言葉に対する感覚が鈍すぎるんだよ。いいか女を振るならジャンプだけ読んでちゃダメだ。寺山修司を読め。中原中也を読め。萩尾望都を読め。浅野いにおは読まなくていい。むしろ読むな。言葉に対する感覚が鈍い男は善良な人が多いと思うけれど愚鈍な人も多い。大丈夫?その人のこと諦めなくて本当に大丈夫ですか質問者さん?今すぐ体当りして運命の出会いを果たせそうないい感じの異性は目の前にいませんか?
えっとね、そうね、ごめんね。ウッカリ心の声が漏れだしてしまいましたが、回答を
続けます。
だから、可能性の有無なんて考える必要はありません。諦めるべきか否か、悩む必要もありません。着実に努力をして、静かに待ちましょう。それがたぶん正解です。
けれど、一生懸命になる必要はないと思います。これは私の意見です。本気になって焦る必要はないと思います。努力も恋心も、片手間でいいです。実際の生活、実際の趣味、実際の恋をしながらで良いと思います。当然のことです。不実ではありません。
もしいつか叶ったらやったね!だし、叶わなくっても結果的にキレイになったし夢は見れたしやったね!だし、次第に興味が失せたらそれもやったね!です。大丈夫です。
あくまで私の経験ですが、高校生の頃好きだった先輩は卒業して関西に行ってしまいましたが、それで私は志望校を変えました。めでたく私も2年後関西の大学に進学し、付き合えはしなかったけど何回かセックスできました。
高校生のときに付き合っていた人とは最悪な別れ方をしてから3年くらい音信不通だったんですけどフェースブックのアイコンを可愛い自撮りに変えたら連絡が来て、結局別れはしたけど大学生になってから付き合いました。
大学生の時に付き合っていた人とも最悪な別れ方をしたんですけどその人が関東に来たタイミングで連絡を取り、付き合えはしなかったけど何回かセックスできました。
社会人になってから付き合った彼氏とも最悪な別れ方をしたんですけど何かと口実をつけて連絡を取り、今からデートに行って来ます。
......まあこういうね、最悪で悲惨な例もありますけれど、再会してどうにかなる、なんてのは本当に簡単なことです。その後は、質問者さんと彼の気持ち次第です。頑張ってね、幸せになってね
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