感情って、コントロールするのは難しいと思います。
自分の中に渦巻く思いがどうしても抑えられずに外へと飛び出してしまいそうになるのは、おかしなことではないと考えます。
ここで大事なのは、質問兄貴が自分の気持ちをバラ撒いた結果を、質問兄貴自身が受け止める準備ができているかどうか、ではないでしょうか。
結果的に自分にマイナスの事態が生じても、納得する心構えがあるなら良し。
自分に都合が悪くなる結果が見えていて、それが嫌ならちょっと立ち止まってみるのがいいかも。
要は、「質問兄貴が自分自身の行動に納得がいくかどうか」かな、って思います。
バラ撒いてしまえば楽にはなるけれど、それは作用・反作用みたいな感じで、再び形を変えて似たような気持ちを抱く事態を招いてしまうかもしれません。
そうなると、色んな意味で損しちゃうかも。
憎悪という名の暴れ馬も、乗りこなせれば「気持ちの持っていき方」が分かって楽になれる気はします。
語録でのメッセージなので、質問兄貴が抱えているしんどさ具合は測りかねますが、可能ならばマイナスが少なくて済む解決に辿り着かれることを願っています。
私に何か言えるとしたら「聞き役に徹してくれる誰かに、支離滅裂でもいいから訥々と気持ちを吐露してみる」くらいでしょうか。
乱文、失礼いたしました。
何をもってして「成功」となるかは人それぞれなんでしょうけど、Vtuberがその人の本分なら、おっしゃる状況は不憫かもしれませんね。
もしVtuberとして色々やるのがその人の本分ではないならば、「まずは自分の本分を全うすること」が「その人自身のQOL(Quality of Life)を高める近道になるかな~、って思います。
魅力(地力)は日常で培われて、非日常も満たしてくれるって感じでしょうか。
生活していれば息が詰まることは当然ありますし、趣味や表現行為で溜まったモノは発散するのは大切です。
ただ、それは「頑張り過ぎる必要の無いこと」とも言えるでしょう。
そういったことに入れ込みすぎると、また、こだわりすぎると、逆にストレスを抱え込む結果になっちゃう気がします。
彼女らの個々の状況は分かりませんが、上記のような本末転倒になっているなら、質問兄貴が感じるような「あんまり良いとは言えない状態」であっても不思議はないかも。
しかし、質問兄貴は嫉妬を抱くくらいには彼女らを「自分らしく生きる」人たちと認めているワケでしょう?
他の人がどう思おうが、質問兄貴には尊い行動として映っているのだと解釈しています。
この時点で、彼女らは質問兄貴にとっての「何者か」になっているのではないでしょうか。
ダラダラと書いてしまいましたが、
・ほどほどが肝要
・自分の本分とは何か
このへんを考えて見つめ直してみるのは大切だと、改めて気づかせてもらいました。
乱文、失礼いたしました!
これはもう、あたわるぱ兄貴が目にしてくれていた&迅速に行動してくれたおかげです。
私は具体的に何かしたわけでもありませんが、そのように言っていただけることを嬉しく思っております。
私も久方振りに動画を視聴する機会に恵まれたので、お二人には感謝してるんですのよ。
視聴者が当該の動画を改めて(初めて)楽しむことができたのは質問兄貴の行動力が切っ掛けですから、「事態を動かすにはまず自分から動く」ということの大切さを改めて感じた次第です。
よく分からない文章になってしまいましたが、こちらこそありがとナァス♡
「FM_JOKER姉貴ラジオアーカイブス」(sm32736362、2018年2月14日投稿)が、ご指摘の動画だと思います。
私は保存していないのですが、これは元々Twitter上で連続公開された音源を一本の動画にしたものだったと記憶しています(記憶違いだったらスミマセン)。
JOKER姉貴をラジオパーソナリティに見立てて、音源を組み合わせたり色々と加工していた動画であった……はず。
ニコニコに投稿されたものがどこかに転載されているかは、私にも分かりません。
ただ、JOKER姉貴周りの人で保存している人はいそうなので、質問兄貴が思いつく何名かに聞いてみるのはアリかと。
上記したようにTwitterでの連続公開作品が元のはずですから、大元の動画(複数)を保存している人もいそうではあります。
大元の作者は誰だったか……、ここは記憶が非常にあいまいなんですが、やさしそうなぞう兄貴orジョカニート兄貴だったような……。
その他、ご指摘の動画を知っていて保存している可能性が高そうなのは、栄知兄貴、パリジェンヌ兄貴、右る兄貴といった方々が思い浮かびます。
ちなみにニコニコに投稿されたものは非公開状態なので、再公開される可能性はありますが、期待薄でしょう。
あやふやな回答で申し訳ございません。
作業工程に自分なりの工夫を凝らす余地がない(許されない)場合、人間は大きなストレスを抱え込むことになる。
その部分を保障する制度が現代社会にはないので、個人の趣味でなんとかするしかない。
……という主張であると受け取りました。
(間違っていたらスミマセン)
「自分らしさ」となれば、それこそ人それぞれ、千差万別になるのだと思います。
質問兄貴と似たような方向性の人もいれば、質問兄貴が否定するものと結びつける人もいるでしょう。
どのようなジャンルでも、「その人にとって最も都合の良い楽しみ方」で、各々が接している気がします。
根っこは同じで、向かう先が一人ひとり違っている……というイメージかもしれませんね。
示唆に富むメッセージ、有り難うございます!
直近では『地獄の奇術師』(二階堂黎人、講談社文庫、1995年)を読了しました。
推理小説としての理詰めと感情に訴えかける幻想的悪夢が混ざり合ったような、それでいて両立していると納得させるパワーのある作品だと感じた次第です。
まだ読んでいる途中のものならば、『経済学講義』(飯田泰之、ちくま新書、2017年)が、経済学についての取っ掛かりとして良いかも~、という印象ですね。
割合は分かりませんが、おっしゃるような事情を抱えている人はいるのかもしれないなぁ~、とは思います。
「そのような捉え方もある」と気づかせてもらえたことに感謝です。
他者の視点や考えから自分の視野が広がる、という感じでしょうか。
また、どのようなコンテンツであれ、そこに関係する人は全員が根本の部分で同じなのでしょうね。
言葉にするのが難しいんですが、質的に等しいと言いますか……。
質問兄貴の感覚とは違っているかもしれませんが、同意する部分です。
色々と考えを巡らす切っ掛けとなるメッセージ、ありがとうございました!
人間が子々孫々、命を繋いでいくために生殖行為は必要不可欠かと思います。
質問兄貴が「業」を悪行に近い意味で捉えているならば、それとは逆の面にも注目してみたら、案外新たな気づきがあるかもないかも。
自慰行為自体は悪ではないですし、性欲を向ける対象については変に矯正するほうが精神的負担に繋がる気がします。
想像の中で全てが完結しているのであれば、それで構わないのではないか……というのが私の考えです。
最後に書いてらっしゃるように、ご自身で結論を出されているわけですから、質問兄貴は自分で自分を許せているんだと解釈しています。
(心情的な意味での)生きる権利は質問兄貴自身によって質問兄貴にもたらされていると、私も感じていますよ。
拙い意見、失礼致しました!
環境の変化はあるでしょうけど、職務である以上は全うできるように努めていると思いますよ。
「医療従事者」と括っても幅広く、それぞれがそれぞれの役割で頑張っておられるでしょう。
RRM姉貴が他人の生死についてナーバスかどうかは分かりません。
が、質問兄貴が想定するような場面に居合わせれば、何がしかは感じてしまうのが人間というものかもしれませんね。
彼女がどういった事を考えて様々な作品に出演していたのか、それは本人にしか分からない(もしかしたら本人も明確な理由を挙げられないかもしれませんが)んじゃないかな~、と考える次第。
認める・認めないにしても、本人の意思は、それこそ他人が完全にコントロールできるものではない気がします。
あまり強く他者に願望を見出してしまうと、それが達成されない場合は質問兄貴に余計なストレスがかかってしまうかも。
性がなければ生も死もなく、命の砂時計は生まれた瞬間から死に向かって砂が落ちて減りつ続けているとも言えます。
こう考えると、RRM姉貴だけではなく人間はみんな性(生)と死の境にいる……と表現することも可能なのかな、と思ったり。
乱文、失礼致しました!
言う側、言われる側が同じ次元に立っていると思いますよ。