ヘルダーリンが「夕べの国」というとき念頭に置いているのはヘスペラ(ἑσπέρα、ドイツ語ではHesperien)なるギリシアの神話的地名であり、これは原義的にはギリシアから見て西に位置する地中海沿岸地域をいう概念で、そこにはオリエントからギリシアに伝播した文化がさらに西遷して行きつく先という含意が込められているわけです。ヘルダーリンはこの意味における「夕べの国」がドイツであることを望み、西欧のなかでもドイツを特権的に指し示すかのように使われる伝統を生み出したのですが、周知のとおりフランス革命以降のドイツの政治・文化情勢は文学者たちが理想化した古典期ギリシアの継承者とはとても言い難いものであり、それゆえ「夕べの国」概念には非存在ないし未実現といった陰影がまとわりつくようになります。
さらに、「夕べ」の語感も相俟って、特に二十世紀以降においては、この語が「西洋の没落」的ニュアンスを帯びるようになるのも外せないところです。「汝ら死にゆく諸国民(Ihr sterbenden Völker)」と呼びかけるトラークルの詩「夕べの国」は、まさにそのような気分に満ちています。
「夕べの国」自体が非常に喚起的な言葉ということもあって、実のところそれほど確たる定義のもとに用いてきたわけではないのですが、この機会に自己分析を試みれば、以上のように、(1)非存在、(2)未実現の理念、(3)没落といったイメージが渾然一体と入り込んだ、実在するドイツ連邦共和国とは別の位相における「秘められたるドイツ(ゲオルゲ/カントーロヴィチ)」という使い方をしてきたように思います。トラークルを論ずるハイデガーを起点に、ユンガー『大理石の断崖の上で』のマリナーやクビーン『裏面』の夢の国(Traumreich)といった、最終的には崩壊することになる架空の場所を「夕べの国」として一括して扱った批評がカッチャーリ『死後に生きる者たち』(昨年みすず書房から邦訳が出ましたね)であり、これなどまさに私の用法に近いものといえます。
...今回は口頭試問の試験官めいたご質問だったので、それらしくご返答した次第です。
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