リバタリアニズムと性善説は関係があるのですか?
.自由に任せておけばうまくいく、みたいに考えるためにそういう印象があるかもしれませんが、性善説か性悪説かという人間観と直接の関係はないと思います。人々が悪人ばっかりで自己利益ばっかり考えて行動したとしても社会の秩序は保たれるし全体の幸福も増進される、なぜなら市場はそれを実現するうまい仕組みだからである、みたいに「蜂の寓話」っぽく考えることもできます。最悪(?)の場合を想定してもそうなのであって、現実の人間はもっと利他的ですから、リバタリアンな社会ではほどよい相互扶助が達成されるだろう、みたいな感じではないかしら。まあ、現実問題、あまりに悪人というか利己主義者ばっかりだと世の中ぎすぎすするでしょうから、いいやつばかりじゃないけど悪いやつばかりでもない、ぐらいのほどほどの楽観的な想定をしているのが大半ではないかと思います。
.ただ、たとえば軍隊のように、経済合理性を超えて命を差し出す勇敢な人々がどれだけいるかとかいう問題になると、そういう人はいつの世も一定数いるものだ、という、あまり説得的ではない想定になってしまいがちで、そこは「リバタリアニズムの人間観」に関わる問題点といえそうですね。
.ただ、たとえば軍隊のように、経済合理性を超えて命を差し出す勇敢な人々がどれだけいるかとかいう問題になると、そういう人はいつの世も一定数いるものだ、という、あまり説得的ではない想定になってしまいがちで、そこは「リバタリアニズムの人間観」に関わる問題点といえそうですね。