@osiroiobake

ひゃくまる

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長崎には1日しか居ないのですか?お会いしたいのはマウンテンマウンテンですが、やはり仕事でむずかしいです。場所も近いとはいえ九州内ってだけなので。

まあアレよ、同じ空の下にいるんだからよ。
市内には一日しかいないですね。余裕があったらペンギン水族館行きたいけど無理やろなぁ。

ひゃくまるさんが女性とかwどんだけ情弱なんですかね?www

そっすね(死んだ目)

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川上稔って作家ご存知ですか?

「翻訳家が一番嫌いなラノベ作家(状況説明がなさ過ぎて何やってんのかわかんない)」と聞いたことがあります。
終わりのクロニクルと境界線上のホライゾンだけかじりました。

昔から君ってそうだよね?みんなそうだよ。みんなそういってるよ。みんなだってやってるよ。そんなことを聞きたいんじゃないの。君の想いを。君の言葉を聞きたいの。君の、本当の気持ちを私は聞きたいだけなの。君の言う普通ってなに?

人と対話する姿勢の有無。

ひゃくまるさんと友達になりたいです

だいたい懐くまで一年弱かかるしそこから徐々に扱いが雑になっていくけどそれでもいいなら来いよ

エアギターに向いてる曲教えてくれ、今度カラオケで友人に披露する

み!か!ん!の!歌!

ツイッター見てると思うけど、ひゃくまるってただのキチガイじゃないよな

まずもって認識の違いがあるんだけれども私は普通の人間です。

長崎ちょっと場所が近くてガチで会ったらど緊張しそうですwでもなぁ、平日だからなぁ、社畜だからなぁ(´・ω・`)

長崎市内でボクと握手!
長崎ちょっと場所が近くてガチで会ったらど緊張しそうですwでもなぁ平日だからなぁ社畜だからなぁω

広島旅行でひゃくまるに会いたい人生だった(人生って今期のアニメ見てますか?)

8/1に長崎行くから路面電車の使い方わかんなくて迷ってる私に声掛けてくれそこから始めよう。
人生みてます。徳を積む為の賽の河原みたいなアニメですね。

二人の馴れ初めの事をちょろいにネタメールで送っていいですか?

好きに使えよ。

もしかして、ひゃくまるって案外賢い・・・

誰かに読ませるための文章ばっか書いてると文体は自然とこうなる。
地頭の賢さとかそういうのはあまり関係ない。どちらかというと小賢しいのだ。

関西人って真面目な話とかすると、照れ隠しなのかなんなのか知らないけど、最後にオチというか「こうは言ってるけど自分はアホやで~」ってなること多くない?

業やで。

JK、JD特有の矢印の使い方どう思う?例「あー彼氏とお喋りしたいなー、今隣にいるけど←」みたいな

4年くらい経ったら今の(暗黒微笑)、(あばば)などと同じ立ち位置にいるだろ。
許されたいなら許すしかない。
4年経っても使ってたら知らん。そいつらはもう畑の肥料にしろ。

偉いことと正しいことは違うっていうエピソードはありますか?

「正しさ」ってそもそも何だ。
あなたのいう「正しいこと」が何に寄与するかでまったく話は違ってくるわけで、そこを定めない限りお話は先に進まない感じあるです。
社会的な正しさ(あるいは功利主義的な正しさ、法的な立場からの正しさ)が
個人的尺度の正しさ(あるいは正義感や倫理に根差したもの)とイコールとは限らないですから。
そこを踏まえて考えると、「偉いこと」が「正しいこと」である時もある時もある、って玉虫色の返答しか出来ないのだなぁ。

ホモ(百合含む)の良さを語ってください

外野からの茶々だと思って軽く流して下されば幸いです。
これはヘテロだろうがホモだろうが言われてる問題だけど、恋愛って問題について回るのは「その人の何が好きか」ですよね。
「どうして」や「どこが」は所詮後付けの理由でしかなくて、「好き」っていう感情に付与された体面や側面でしかない。 その何かが「自分と同じ側である」ことがホモのポイントだと思うんですわ。
「自分と同じ側である」ものを好きになる、って、コアな部分で、自己愛とよく似ていると思うんですわ。
だって「性差」っていうのはどうしようもない溝の部分で、相手と自分の考え方の違いや行動のアレコレに対してどうしても迎合できない問題が起こったとしても(多分に乱暴な結論だとしても)
「まあ相手と私では性別が違うししかたがないよね」の一言で片付けることができる。
でもホモだと無理じゃないですか。だって相手は自分と同じ側にいるんだから。
ほんで「自分と同じ側にいる」といっても、厳密に見れば違いますよね。
「側」というのは性別というマクロな視点から見た場合であって、ミクロ(個人)としての単位でみた時には「他人」なんだから。
「自分と違う」でも「自分と同じ側」の「相手」のことを好きになる、性差っていうお互いの絶対的な「違い」が通用しないフィールドで育まれる関係性と愛。自己愛でありながら他者愛である愛。
このジレンマが抱き合わせになった感じが個人的には好きだし良いなあと思います。
それから、恋愛っていうのは「好きになる」のが難しいんじゃなくて、「好きを維持する」方が何千倍も難しい。
ホモってその「好きの維持」が「外部からの嫌悪の目」や「内部での葛藤や混乱」によってわかりやすく表し易いですよね。
「恋愛」の核にある部分をそういう要素で表現できる、してる、っていうのがとっつきやすくて好きです。
まあ、当人たちにとってはどうしようもなく深刻な問題なんでしょうけれど。
あとは、ホモってどうしたってマイノリティなんですよね。
ならその恋愛の真髄は選択主義にあると思うんですよ。
大体にして恋愛ごとで重要視されるような、問題に対しての回答で何が選択『された』かじゃなくて、選択『した』かどうかが重要なんですよ。
というかBLにしろ百合にしろ、この際法に接触する歳の差、でもいいんですけど、そんな通常では起こらないようなところでエラーが起こって、でもそんな問題が起こることは予め二人が了解した上で、それでも『一緒に居る(あるいは離れること)』を選択する、ってことが物語では重要であって、
問題に直面した瞬間とか、その解決方法はどうでも良い(だって愛があればそれでいい!)訳です。
その刹那的な共有がたまらなく良い。そのいじましさ、さもしさに心を掻き毟られる。
刹那だから永遠だよね。それこそ生きるということだと思う。
ああ、ホモは生命力だ。そのきらめきだ。

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