動物の権利運動を宗教的でない倫理的な理由に基づいて行なっている方々の割合はどのていどのものなのでしょうか(シンガーなどを念頭に置いています)動物の権利運動がなかなか一般に理解されないことの理由のひとつには「クジラやイルカを殺すのはかわいそうだけれど牛豚は食べる」だとか「生命はとにかく大切だから植物も食べるべきでない」だとかいう方々も動物愛護をする側に相当数いるから、ということもあると思うのですが
ご質問の前半と後半があまりつながっていないように思います。
宗教的な理由から動物愛護をしている人はいると思いますが、それは主張の中に表立ってでてこないのでどのくらいいるのかはよくわかりません。また、宗教的な理由でこうした活動に参加される方の多くは動物だけではなくチャリティ一般にあてはまる理由で動物愛護をされているのだと思います。宗教的な言説が明示される場合は、逆に宗教的な理由から動物愛護を制限する議論のほうが目立ちます(牛や豚は神がそのように作ったのだから食べてよい、とか、屠畜はこの手続きでやるようにさだめられているので福祉という理由で妨げられてはならないとか)。
後半、もちろん動物愛護と一口に言ってもさまざまな立場があることを意識しないとわけがわからなくなるというのはその通りだろうと思いますが、それは宗教がからむかどうかとまったく別の話です。
宗教的な理由から動物愛護をしている人はいると思いますが、それは主張の中に表立ってでてこないのでどのくらいいるのかはよくわかりません。また、宗教的な理由でこうした活動に参加される方の多くは動物だけではなくチャリティ一般にあてはまる理由で動物愛護をされているのだと思います。宗教的な言説が明示される場合は、逆に宗教的な理由から動物愛護を制限する議論のほうが目立ちます(牛や豚は神がそのように作ったのだから食べてよい、とか、屠畜はこの手続きでやるようにさだめられているので福祉という理由で妨げられてはならないとか)。
後半、もちろん動物愛護と一口に言ってもさまざまな立場があることを意識しないとわけがわからなくなるというのはその通りだろうと思いますが、それは宗教がからむかどうかとまったく別の話です。