人間は何かが起きた後からでしか改善策を探すことができないのでしょうか?予防や予測もできないこの世の中が悲しくなります。
たとえば災害や事故などがその典型かと思いますが。
“何かが起きた後からでしか改善策を探すことができない”、これは、どうしてもそうなるかと思います。歴史はそうやって積み重ねられ、人はそうして学んできたのだと思います。その歴史の先端に我々がいて、これからもそれはずっと続いていく。悲しいですが、“悲しいからこそ”、学ぼうとする、学ぶことができるのだと思います。そうやって歴史は、現代の我々にまで引き継がれているんじゃないでしょうか。
また、見方を少し変えてみるのですが。予防や予測ができないのは、悲しいことばかりではなく、嬉しいこともそうだろう思います。事前にわかっていたら、ほとんどのことって、うれしくないです。予想ができないから、うれしいと思える。笑いも起こる。
どうすることもできない悲しみがあると同時に、たとえば人が産まれるなどの、言葉にできない喜びも存在している。世の中には正負、両側面あるので、悲しみばかりではないのは、ご承知かと思います。
「正もあれば負もある、負もあれば正もある」、あるいは、「正があるから負がある、負があるから正がある」というふうに、偏らず、バランスや関係性でもって、一つの或る事象を捉えていこうと、ボクとそう考えています。
何かの参考なれば。ありがとうございます。
“何かが起きた後からでしか改善策を探すことができない”、これは、どうしてもそうなるかと思います。歴史はそうやって積み重ねられ、人はそうして学んできたのだと思います。その歴史の先端に我々がいて、これからもそれはずっと続いていく。悲しいですが、“悲しいからこそ”、学ぼうとする、学ぶことができるのだと思います。そうやって歴史は、現代の我々にまで引き継がれているんじゃないでしょうか。
また、見方を少し変えてみるのですが。予防や予測ができないのは、悲しいことばかりではなく、嬉しいこともそうだろう思います。事前にわかっていたら、ほとんどのことって、うれしくないです。予想ができないから、うれしいと思える。笑いも起こる。
どうすることもできない悲しみがあると同時に、たとえば人が産まれるなどの、言葉にできない喜びも存在している。世の中には正負、両側面あるので、悲しみばかりではないのは、ご承知かと思います。
「正もあれば負もある、負もあれば正もある」、あるいは、「正があるから負がある、負があるから正がある」というふうに、偏らず、バランスや関係性でもって、一つの或る事象を捉えていこうと、ボクとそう考えています。
何かの参考なれば。ありがとうございます。