@ryotaism

フクモリ

生き続ける事の意味はなんですか?

“生き続けることの意味”、なぜボクは生き続けているのか、自分でもよくわからないです。
「たまに楽しいことがある」「今はまだ死ねない」「死ぬのが怖い」とか、とりあえずは、そういう感じで生きているようなところはあります。
正しい答えなんてのは、そもそもないだろうと思いますが、とりあえず、「燃え尽きて死にたいな」という思いはあります。
どうせ死ぬんだったら燃え尽きて死にたい。これは確実に思っています。
どうでもいいかもしれませんが、自分の話を少ししてみます。
ボクは子供のころから、悩みやすい性格でした。
何かというとネガティブ思考で、小さなことにうじうじと悩んでしまう性格で、自分でも嫌なくらい落ち込むときがある。
そういう性格だからなのか、27歳のころの話ですが、一度、「死にたいな」と思ったことがありました。
ただ、その気持ちがどこまで本気で、どこまでが冗談なのか、自分でもよくわかりませんでした。軽はずみに自分がそう思っているだけの可能性もありました。でも、フッと、頭のなかに、そういう発想が浮かんだ。この先つづいていく人生に、あまり希望がもてなかった。「このまま生きていても楽しいことなんてあるのかな」と思った。
そんなふうでしたから、死にたいなと思うことがあって。
そんなとき、テレビをつけたら、日本の自殺者数のニュースがやってた。『日本の自殺者数が、◯◯年連続で3万人を越えました』というニュースでした。日本は自殺が多い国です。
そのニュースをみたとき、「ボクは、その3万人のうちの1人なのかもしれない」と思いました。1/30000、3万人のうちの1人にすぎない、ということ。
なんだか、そう考えると、嫌な気持ちになりました。
なぜかというと、「死」というのは、「私個人」のものだと思っていたからです。
死は「私個人の問題」なのに、それが「社会の問題」になっている。それがどうも、納得がいかなかった。受け入れたくなかった。
ボクは、自分の「死」が、「自分のものであってほしい」と思った。社会とか経済とか、他の何かによって邪魔をされることは嫌だと思った。“死は私個人の問題であるはずだ”――という考えに至って、そういう生き方を選びたいと思った。
でも、じゃあ、一体どうすればいいのか?
たとえば、自分にしかできないことをしなきゃいけないんじゃないか? そんなことがあるのかどうかはわからないけど、それを必死で追いかけて、燃え尽きるようにして死ぬ、精一杯やることやって死ぬ、それが自分が何とかたどりつくことができる“私の死”だろう、つまり、私の生き方だろうと思いました。
“生き続ける事の意味”というのは、わからないのですが、そこに向かって、そういう死に方に向かって“生き続けている”ことは間違いなさそうです。今のところは。
こんなのはボクだけじゃないかと思いますけども、、、何か少しでも考えの足しになればと思います。
こういう質問をくれて、とてもうれしかったです。
こういうことは意外と多くの人が考えているのだけど、あまり口にださないので、でもたまにはいいんじゃないかと思います。ありがとうございます。

Latest answers from フクモリ

高橋優さんの歌詞について正直な感想を綴っているブログを読みました。 私は高橋優の大ファンですが、私と全然違う目線からの感想だったのでとても新鮮でした。 難しくて言葉にできませんが、尊敬します。 もしよければ、最近の高橋優の歌詞についての感想をお願いします。 明日はきっといい日になる、産まれた理由、など よろしくお願いします(>人<;)

結花
質問ありがとうございます。最近の曲はまだちゃんと聴いてなくて、近々聴こうと思っていたところです。時間ができればブログに書こうと思います。

29歳男です。現在、契約社員で働いていて会社で隣の席の一つ上の男に嫌がらせをうけています。内容は挨拶をしても無視したり、自分の私物をこちらの席にまで置いたり用があるときは喧嘩腰で話しかけてきます。初めから自分のことが気に食わなかったらしかったです。席を替えてくれと2回も上には伝えたのですが(向こうもいってたみたいです。)女の人の意見はすぐ通すのに男は意見が通らないことが多く未だに替えて貰えず、最近腸炎にまでなってしまいました。今年の3月契約更新日ですがとても更新まで我慢して働く気力も沸きません。どうしたらいいでしょうか?

文面を読む限りでは、仕事を休むか、辞めたほうがいいんじゃないかと思います。
無理をして、体と心が壊れてしまうと、治るまで時間がかかります。仕事を辞めても転職活動すらできません。
気合と根性で乗り切るという方法もあります。自分の意見を強く主張する、思い切ってキレてみる、など、色々なパターンはあります。それでなんとかなる可能性もあります。――が、そういう行いができるほど、メンタルに余裕があるかというと、腸炎になっていることやaskfmに書き込みをしていることから、難しいのではないかと察します。
そう簡単に仕事を辞めたり休んだりすることはできないかもしれませんが、体と心が壊れてしまうと、再復帰は難しいです。そうなる前に、自分の中にまだ余力があるうちに、現状を変える行動をとったほうがよいかと思います。
以上です。参考になれば幸いです。

友達を傷つけてしまったかもしれません。私は他人に対していらない一言を言ってしまう癖があります。それは自分の取るに足らない虚栄心からだと思います。最近気づきました。自分の知らない間に信頼感を落としてしまったのではないかと思うと、友人に対して申し訳ない気持ちと、恐怖心でいっぱいです。どうしたら事態が良くなるでしょうか。私はその友人に対していまさらどんな態度をとって接すればいいのかわからなくて、とても辛いです。

ここに書いたことを友人に伝えてみる、というのはどうでしょうか。
正直に、自分の思っていることを伝えてみる。ここに書いてくださった、「申し訳ない気持ち」「恐怖心」「虚栄心」「辛い気持ち」…これらを直接本人に伝えてみる、そうすることで前へと進めるかもしれません。友人ならわかってくれると思いますよ。友人とは何か?、それは『なんでも言い合える仲』だと僕は思います。

今現在の悩みは20歳の時の悩みより深刻ですか?

いくつになっても、今が一番深刻です。。。

なんとなくさみしい時、ありますか。 そういう時どうしますか。

なんとなくさみしい時、ありますよ。一人でカップ麺をすすってる時とか、大晦日を一人で過ごしている時とか、さみしさが込み上げてくることがあります。そういうときは、自分の目標や志、夢などを思い出します。そして、それに向けてがんばることで、さみしさをかき消そうとします。

ask.fmの記事とても分かりやすかったです。ありがとうございました。

ありがとうございます。
でも最近、デザインが大幅に変わったので、少し書きなおさないといけないなぁと思います。

こんにちは。私は、自分がいないところで自分の話をされることにとても恐怖を感じます。多分、昔クラスメイトに陰口を叩かれた経験があるからだと思います。自分がどうすることもできないことで悩むのは馬鹿馬鹿しいと、頭ではわかっているのですが、感情をうまく処理できません。宜しくお願いします。

自分のいないところで陰口を言われるのはキツイですよね。
参考にならないかもしれませんが、私の場合は、直接聞きに行きます。「何か言ってた?」「何か用?」「なんでそんなこと言うの?」って、直接、相手に言います。ケンカも辞さない覚悟で聞きます。自分が正しいと思っているなら、胸をはって言うようにしています。
これは一見すると、勇気ある行動にみえるかもしれませんが、その全く逆で、『陰で言われることが、無茶苦茶コワイ』から、気持ちの面で楽になりたくて、そういう行動を取っています。ケンカしてツライ思いをするよりも、陰で言われ続けるほうがツライです。
「人からどう思われているか」、心配で気になるときも、直接聞きます。「どんなふうに思っていますか?」「どんな人間だと思いますか?」など、直接相手に聞きます。そうすれば、すぐにわかります。
陰口を言われることのしんどさは、相当なものだと思います。『直接言ってこないで陰口を言う人は、たいした人間じゃない。だから、無視しておけばいいんだよ』――といった方法もありますが、陰口に耐え続けるチカラは私にはありません。器用に無視するチカラも自分にはありません。だから、直接相手に言うしか方法がありません。
もしくは、逃げます。環境を変えます。相手が自分に近寄れないくらい遠くに逃げます。具体的には、引っ越します、職場を変えます、などなど。これは大袈裟ではなく、そういった方法も大事だと僕は思います。それくらい「陰口に耐えること」は大変なことだからです。
以上、まったく参考にならなかったと思いますが、自分の場合について書いてみました。質問、ありがとうございました。

いつも楽しくブログやYou Tubeを拝見させていただいております。 突然ですが、私は歌うことが大好きです。曲も作ってみたいな~、You Tubeに自分の作った歌をあげてみたいな~、なんて思います。どこか遠くに住む私とよく似た誰かさんには、私の曲を聞いてほしい、願わくばその人が共感なんかしてくれたらとても嬉しいなとか思う。でも家族とか友人とかに、曲を作ってYou Tubeにあげてるってことが知られたらなんとなく恥ずかしい。福森さんは、ブログでもYou Tubeでも自分の考えをありのままに発信していてすごく勇気があるなと思って尊敬してます。最初、怖くなかったですか?

最初はもちろん緊張しました。いまでも緊張します。また、いまだに恥ずかしいです。慣れることはできなさそうです。
何が楽しくて、わざわざこんなことやってるんだろう、と思うときもあります。家族や友人に知られるのももちろん恥ずかしいですし、職場の人にバレると仕事上なにかと面倒です。ネットに自分の思いを綴ったり、動画で何かを表現することは、ある種の、リスクがつきまといます。ネットの記録は一生残りますし。
では、なぜブログやyoutubeで発信するかというと、
ボクの場合、おそらく、寂しいからでしょうね。誰かにかまってもらいたい、誰かに自分のことを見てほしい、認めてほしい、と思っている。でも、だまっているだけでは誰も見てくれない、だから、気づいてもらうために、バタバタとあがいている。「こっちこっち!」って、必死で手をふっているような感じです。
僕がyoutubeやブログをやっているのは、そういう「小心」が発端です。根本にあるのは、寂しがり屋の承認欲求です。しかし、僕にとって、それは死活問題なのであり、何より優先的に解決しなければならないことでした。
そしてもうひとつ。例えばyoutubeで何かをしゃべることは、恥ずかしいし、とても怖いのですが、それ以上に、「どうしても自分はこのままでは終われない」と思っています。誰かに見てもらいたい、これは言い換えると、自分を見てほしい、ということです。いわゆる「エゴ」。僕は臆病で寂しがり屋な「小心」と、もうひとつ、「エゴ」も持っています。自分の思っていることを表現したい、そしてそれを人にみてほしい、承認欲求だけでなく、表現欲求ももっています。
以上が、僕がyoutubeやブログをやっている理由、根っこの部分です。人よりも少しだけ強い承認欲求、ちょっとだけ自意識過剰、ヒトに見てほしいというエゴイスティックな表現欲求……これらは、ネット上でいろいろな活動ができる資質かもしれません。これらをもっている人は、たとえ怖くても恥ずかしくても、最終的には実行する人だと思います。
そうはいっても、バレたくない人もいるかと思います。僕にもいます。が、バレたらバレたで仕方ないと思っていますし、そのときはそのとき、別に悪いことをやっているわけではないので、自分が正しいと思っているなら胸をはればいい、と思っています。
歌、ということですが、別に顔をださなくてもいいですし、最近では、“一人カラオケ”をiPhoneで撮影して、たくさんのファンを獲得している人もいます。最初は無理せず、リスクを減らして、簡単なところから始めてみてはいかかでしょうか。
参考になれば幸いです。質問、ありがとうございました。

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小説を書いています。需要のないオリジナル作品を発表することに意味はあるのかと自己嫌悪に陥っています。流行しているアニメや漫画の二次創作の方がオリジナルのものよりも観覧数も評価も高く、そんな現実が辛いです。どうすればいいでしょうか。

需要よりも、自分が書きたいことであり、尚且つ、自分の得意な分野を重視したほうがいいのではないか、と思います。
需要に合わせて自分のスタイルを変化させるのって、相当なセンスがなければ難しいんじゃないかと思います(ものすごく器用な人なら可能かもしれませんが……)。
また、今は需要があっても3年後には人気がなくなっていたり、逆に、今は需要がなくても3年後には大人気になっていたり、と、需要は一定ではないと思います。「今の需要」を考えるより「この先の需要」――「この先、こういう分野がゼッタイにくる」「自分が実現する」という精神性でいるほうが、創作者としては健全な気がします。
刻々と移り変わる需要を読み、需要に合致する作品を目指すことって、かなり疲れると思います。結句、書かなくなってしまう、あるいは、書けなくなってしまう――となると、それは大変勿体ないと思います。
「たくさんの人に読んで欲しい」という気持ちが強くなりすぎると、「今すぐ実現したい」という思いに駆られます。が、「時間をかけて育む」、焦れったさと向き合うことも、たくさんの人に読んでもらうための道程ではないかと思います。
えらそうなことを書きましたが、すべて、僕が自分に向けて言ってやりたい言葉です。質問ありがとうございました。

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