法定刑の軽重というよりも、「罪を償う」とはどういうことなのかについて、皆が考えを深めていくことが大切だと考えております。真正面からの回答ではなくて、すみません。
刑務所に行くですとか、死刑になるとかは、あくまで行政上の手続きにすぎないという面があり、被害の回復とは全く関係がありません。被害の回復なくして、被害者の心は晴れるのだろうか。被害の弁償なくして、犯人の更生はあるのだろうか。服役期間が終わったからといって、加害者にどんな変化があったのか、被害者にどんな変化があったのか。そのことのほうが問題ではないかと思っています。
人を殺したら被害者はもう戻りません。これを償うことはできるのか。死刑にすれば償ったことになるのか。
何億円もの財産犯で懲役何年になろうとも、一円も返さないままという人がいる。長期間服役すればそれはもう罪を償ったことになってしまうのか。
また、殺人のような故意犯と交通事故のような過失犯では、加害者の非難可能性は大きくかわるはずなのに、実際には、交通事故加害者のような過失犯も、同じ人殺しという扱い(社会からの冷たい目)を受けていることだってあります。被害者からすれば、殺人者と変わらないかもしれませんが、これは理不尽ではないのか。
ほかにも、どんな犯罪であれ、いつまでの犯罪者というレッテルから逃れられず、社会のほうが、一度犯罪を冒してしまった人の再出発を許さないということもあります。社会が許さなければ、罪の償いは一生続くこととなり、それを自業自得で片付けることの違和感は拭えないように思いますが、どうなのか。
さらには厳罰化というよりも、どの犯罪も法定刑のなかでどの程度の量刑にするかは裁判所の裁量に委ねられておりますが、その裁量(法定刑の幅)が広すぎるということのほうがまずは解決されるべきことではないかと思います。犯罪のバリエーションもかなりでており、明治時代の古い刑法で裁き続けるよりも、もっと犯罪の種類を細かく分類して、犯罪の種類、性質ごとにもっと狭い範囲の法定刑を定めて、犯罪ごとの量刑の予測が立ちやすい(裁判官の量刑判断の幅が狭い)ように刑法が改正されることのほうが大切ではないかと思っております。
犯罪の種類をもっと細かく分類したほうが、この犯罪であれば、この法定刑でいいでしょう、この犯罪であればこの法定刑はおかしい(軽すぎる、重すぎる、幅が広すぎる)等々の判断が、国民目線からも判断しやすいからです。今の刑法では、軽くもできるし重くも出来るような法定刑(幅が広い)となっており、国民目線からみて、この法定刑は軽すぎる、重すぎると判断しづらいと考えております。
少なくとも財産犯であれば、被害額に応じて細かく法定刑を分けることはできるはず(10億円以上の横領は無期懲役、8億円以上10億円未満は、懲役20年以下・・・・等々。)。
縷縷申し上げました。すみません。結局真正面からの回答にはなっていないのですが、まずは裁判所の判断の裁量を狭めること、そのためには法定刑をもっと細かく定めた、今以上の犯罪のバリエーションを細かく規定した新しい刑法(改正でもいいので)が必要です。法定刑が軽すぎる、重すぎるとの判断を国民がするためには、まずは、法定刑の幅をしていかないと難しいのではないかと思います。
また、厳罰化といっても、例えば、法定刑に死刑があるのに死刑を選択しないのはおかしいという議論なのであれば、それは法定刑の問題ではなくて、死刑を選択しない刑事裁判の運用(裁判所の量刑相場)がおかしいという議論です。これは根深い問題ですが、究極的には、上に述べたように、刑法上の犯罪のカタログをもっと詳細に分類・規定して、法定刑も犯罪の種別ごとに細かく規定することで、解決していくべきことなのではないかと考えております。
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