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ちょい悪法哲学者の吉良先生(若者を前に語り出すと止まらないがガチ詳しいので免責される)

.「ちょい悪法」に従う義務があるかとか、どうですか(何が)。

先生はゲームしない人だってことですけど、もしご自分が小さい頃にゲーム機を入手しやすい状況だったら(もしくは都会・地方あまり関係なくどこでもゲームが手に入る現代に生まれていたら)ゲームが好きになった可能性はありますか?

.ゲーム機がそもそも入手できないほどの地方に住んでいたわけではなく、中学生ぐらいまでは一通りやっていましたよ(ドラクエ、FF、ストⅡ、etc.)。その後はあまりやらなくなったけど、単に時間がもったいなく感じるようになったぐらい。ツイッターでも見てるほうがいろいろ情報が得られていいし。最近のゲームはよく知らないけど、なんか勉強になるとか、人とのコミュニケーションツールになるとか、そういうのがあればやることもあるだろうと思います。実際、将棋はずっとやってるわけだし。

法哲学の研究者といえる人は日本に大体何人ぐらいいるのでしょうか?

.日本法哲学会の会員が500人ぐらいです。でもこの中には他分野を主専攻としている方も多いですし、また、会員以外でも法哲学の研究をされている方もたくさんいらっしゃいます。大学で「法哲学」「法理学」「法思想史」およびそれに類する科目を教えている方は、だいたい100名前後だったかと思います。こういうのはおおざっぱにしか数えられないものなので、「ざっくり数百人」程度でいいでしょう。基本的には全員、名前ぐらいは聞いたことがある、ぐらいの規模のコミュニティだと思います。

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関西でもやってください!

.そういえば9月の初めは出張続きで九州~関西にいるけど、合間に何かくっつけるのはできるかもしれない。何かするかな。

吉良先生の無料参加参加したかったけど、那須高原は遠いです。。。都内でやってください!

.都内でもときどきやってるけどなあ。とりあえず8月か9月にグーロバルジャスティス関連で哲学カフェを企画中です。決まったらお知らせします。

「リトルビット」を、「リルビッ」とか、「ハングオブイット」を「ヘンガヴィ」とかかっこよく発音できるネイティブに嫉妬します。

.いや、そんなアメリカ方言ダサい、というのがグローバルジャスティスです。

トゥエンティをトゥエニーって発音する日本人、妙に腹たちます。

.ここはひどいイナネットですね。

英語のリスニングの本とか見ると「......の音は発音されないこともあります」とか書いてあって、「言ってないことをどうやって聞き取れっていうんだ???」となるのだが、あちらの人はどうしてんの?

.日本語だって大岡越前とか「お」を3つちゃんと言ってるかというとそんなことはなくて、実際は1.5ぐらいしか言ってないけどちゃんと通じるからいいんです、というのは『ダーリンは外国人』ネタでしたか。たぶん、ララランドも1.5ぐらいでいけると思う。

フランス大統領選でマクロンがルペンを破ったのはいいとして、マクロン新党が下院(議院)の過半数まで獲っちゃうと大統領への権力集中が進みすぎてちょっとまずいのではないか。と思うんですが、そのへんどうでしょう。そもそもマクロンさんってそこまで魅力のある人かしら?と首を傾げてもいます。

.さあ。ちゃらいフェイク野郎だと思ってましたけど、当選後は、たとえばアメリカのパリ協定離脱を奇貨としてリーダーシップを握ろうとするあたり、相当に運がいいし、案外しっかりしてるんじゃないかという気もします。といっても現在の段階でどうこうも言えませんが、宙吊り議会で何もできずに終わって5年後のルペン政権への露払いに、みたいなことになるよりは、相応の権力基盤でもってやることやってもらうほうがいいだろうと思います。

https://twitter.com/sendaihiscafe/status/873769831283273728 ↑こういうケースって結構あるのですか?すごい話だなと思いまして。

.社会人院生の方が修了後に、そこの大学で任期付きのポストに就くことはときどきあります。でも医学系で修士修了後にすぐ、というのはあんまりないんじゃないかと思いますが、これだけだとよくわかりません。助教をしながら博士号を取られたのであれば特に不思議はないと思います。いずれにせよすごいのは確かです。

今一番疑問に思っている法哲学上の問題点はどのようなことですか?

.うーん、「法とは何か?」かな。

ロボット選手を何人か入れたらどうなるかって。知能もさることながら身体能力がぜんぜん違うわけで、さすがに無理じゃないかと思うのだが。ロボット打者は文字通りの弾丸ライナーで野手を撃ち殺すのオチではないか。そういう話ではないのか?

.ピンチランナーにカール君とか。

吉良先生、文体で書き手の性別って判別できるものですか?氏名を含めて個人の属性を出さず、ツイートも中性的(性別中立的)になるようにしてツイッターを利用してるんですけど、フォロワーさんには実際とは逆の性別だと思われることが多いです。

.そういうのはむしろ、中性的に書いているがゆえに、読者が自分の考える著者像を勝手に想像しやすくなってるんじゃないかしらん。

人工知能にプロ野球の監督は可能だと思いますか?選手の戦績をもとに、ビッグデータに基づいて最適な采配をしてくれる人工知能みたいな感じです。

.可能かどうかということだったらパワプロをコンピュータがやるのと一緒で、現状でも特に難しいことはないと思います。問題はそれが面白いかどうかですが、まあ、完璧な采配をしたところで結局は選手の頑張り次第なので、あんまり関係ないんじゃないでしょうか。たとえばロボット選手を何人か入れたらどうなるか、みたいなことのほうが考えがいがあるように思います。

「言説資源の格差が出てきてしまう」←まさにそれですよ。そういうしょうもない格差を生まないために、法があるはずでしょ。法の下の平等ってそういうことでは?平等だと思うなら心象なんかないほうがいいし、現状それに裁判の行方が左右されているなら、それは必要悪であるはず。

.なんかちょっと荒っぽい議論になってるので気をつけてくださいな。あと、似たようなこと考えてる私に聞いてもあれなので、ask やってる弁護士さんに聞いてみるとまた違った角度からのお答えがもらえるかもしれませんよ。

先生、体調崩した(>_<)今週講義出られないかもごめん(>_<)

.ここで言われても誰だかわからんがな。

こういう考え方はリバタリアニズムと関係があるのでしょうか

.私は予見可能性の保障という点から法の形式性を重視していますので、その点ではリバタリアンな規範的法概念論だと思っています。また、必ずしもリバタリアンに限られませんが、むやみに柔軟性があると口がうまいほうが有利になる(言説資源の格差が出てきてしまう)とかいったことがありますので、弱者にとって逆用しやすいという意味でも法の形式性はいいぞ。

心象云々の質問者ですが、吉良先生の考えも私と近いのでしょうか?

.はい。

あえて吉良先生に聞きたいのですが、要件事実ってなんですか?当方公務員試験しか勉強していないので、要件事実のことはまったく学んだことがないのですが、本などをしらべても、要件事実という言葉の定義や概念の説明がなく、さくっと内容を把握することができないのです。

.さくっと答えると、ある法律効果を発生させるために必要な要件となる事実、ということでよいかと思います。もっとざっくり言うと、裁判で◯◯を主張したいときに立証しないといけない事実、ということです。

裁判官の「心象」について質問した者です。属人的な要素が入ること自体が、法の支配の形骸化につながるという考えを個人的には実際もっていて、裁判も、最高に発達したAIは、人の支配から最も遠いという意味で、定義上人よりも裁判官に相応しいに決まってると個人的には思っています。属人的な事情が裁判に入り込むなら、そのことにどれほど最もらしい事情を添えたところで、そこでは差別やえこ贔屓が起きてしまっていると考えるしかないと思うんですが、こういう考え方は、理屈が通ってないとか、非常識で過激な考えだとか思われますか?

.私はそういう方向で考えていますので答えにくいんですけど、そうでない側からするとたとえば、生身の人間による実践の部分をあまり排除しようとすると形式的になりすぎたり、あるいは先例を繰り返すだけになったりして、個別具体的な事情をうまく汲み取れなくなってしまうのではないか、といった感じだと思います。もし、AI が高度に発達して、そういった柔軟性をも人間以上に身に付けるようになったとしたら事情が変わるかもしれませんが、これはちょっと最初から反論させない感じの論法なので、現時点であまり強めに言うのもどうかと思います。また、仮にそういう AI 裁判官ができたとしても、多くの人々は(少なくとも慣れるまでの間?)生身の人間に裁かれたいと思いそうです。ある程度のブレがあることが逆に信頼につながっている部分もありまして(現状でもまるっきり機械的に判決をくだす裁判官より、なんかよくわからないところもある大岡裁きをしてくれる裁判官のほうが安心できる場合もあるでしょう)、これは裁判の目的が単に勝ったり負けたりだけではない納得の要素を含んでいることの現れといえます。もちろん、何に納得するのかは慣れの部分も大きいので、完璧な AI 裁判官に人々が慣れる時代もいつか来るのかもしれません。

「功利主義リバタリアニズム」の質問をしたものです。「なさそう」と思った理由は、功利主義が自由に内在的価値を認めない点についてです。自由が「効用最大化に資する限り」という条件を常に満たすものであると想定することは難しいように思うのですが、そうでもないのでしょうか。例えば愚行の自由などを想定しています。

.あくまでその社会全体で見た場合の効用最大化ですから、愚行も含め広く自由を認めたほうがそれに資する、と考える功利主義者は多いんじゃないかな。でもそれはもちろん経験的に検証されるものであって、そうでない状況ではそうでないことになるでしょう。そういう意味ではご指摘の通りで、「たまたま」リバタリアンになっている功利主義はあっても、自由の内在的価値を正面から認める功利主義は考えにくいというか、少なくともある種の義務論的制約を組み込んだ修正功利主義ということになるかと思います。

「功利主義リバタリアニズム」ってあ(え)りますか?

.効用最大化に資する限り、リバタリアンな自由も功利主義的に支持されるでしょうが、むしろ「なさそう」と思ったのはなぜ?

よくツイッターなどで弁護士の方などが、「こういうことをすると裁判官の心象が」とかいうようなことを言うのを見るのですが、実務的にはそういう風に属人的な要素で裁判の行方が左右されることがあるのはわかるにしても、そもそも法が人の支配の代わりに用いられているものだというところから考えると、理論上は裁判官の心象に裁判のゆくえが左右されてしまうことは好ましくないのではないかと思います。多くの弁護士の方々もそれは認めたうえで、でも現実は理想どおりいかないから、そういう入れ知恵もないとうまく立ち直れないよねっていくらか妥協している感じなんでしょうか。先生はどう思いますか?

.私は杓子定規な法形式主義者なのでご指摘のことはわかりますけど、実務的な感覚はどうなのだろう。記述的にはもちろん、条文に現れない、さまざまに不純な要素が入り込んでいるわけですが、それが法的ルールの枠内にとどまっている限り、法の支配を脅かすようなおおげさな話ではないと考えるか。あるいはその枠内で営まれる法律家たちの自由な実践がまさに「法」を作り上げているんだぐらいに強めに考えるか。いずれにせよ、「法の支配」という「理想」を、属人的な要素のまるっきりの排除という意味で考えている法律家はそんなに多くないと思います。これは最高に発展した AI に裁判を任せてよいか?という論点にもつながりますね。

若手の非常勤の先生が、学生に約束をすっぽかされて「俺くらいならいいけどえらい先生だったら怒られるぞ」みたいなことを言っていたんですが、これってたんに叱るための方便でしょうか。本当に学内では、若手の先生と看板教授の間で力関係からして違ってたりするのでしょうか。

.そういうのは「今回は別にいいけど、相手によっては取り返しがつかないことにもなるから気をつけるように」という一般的な注意じゃないかな。力関係については知りませんが、本当にやばいものが思い浮かんだときにはそんな引き合いに出さないわね。

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